スマホが広く一般に浸透し、全面タッチパネル式の端末は当たり前の存在となりましたが、じつは全面タッチパネル式という形状のモデルはなんとiPhone発売よりも10年以上前に、日本に存在していたのです。
全面タッチパネル式携帯電話・デジタルホンDP-211
わが国で初めて全面タッチパネル式の端末として登場したのは1996年11月発売のデジタルホン(現ソフトバンク)のDP-211(パイオニア製)です。ちなみにiPhone初代が発売されたのが2007年6月ですから、iPhoneよりも10年以上前に全面タッチパネル式の端末を商品化していたことになります。
もちろん、ご覧のとおり液晶パネルはモノクロで、バックライトもありません。このモデルの機能としては携帯電話としての通話機能のみで、あらかじめアドレス帳によく利用する通話先を登録しておき、検索で呼び出して通話できるほか、テンキーをディスプレイ上に表示させて数字をタップして発信することもできました。
全面タッチパネル式なのですから、もう少し情報端末的な機能も欲しかったところですが、メールの送受信といった機能は翌1997年11月発売のDP-211SWに譲ることになります。では、なぜパイオニアがこのような挑戦的な端末を商品化したのでしょうか。
じつは携帯電話は自動車電話から派生したサービスでした。1979年12月に東京23区からスタートした自動車電話サービスは、自動車に無線機とアンテナ、ハンドセットを設置して利用する移動式電話サービスでした。この自動車電話を車外でも利用できたらというニーズから、無線機にバッテリーとハンドセットを装着し、移動中は自動車電話として、自動車から降りる際には取り外して肩掛けして持ち歩ける移動式電話として利用できるショルダーホンが生まれました(1985年)。このショルダーホンが小型軽量化していったのが携帯電話なのです。
‘90年代当時は、携帯電話のサービスといえば音声通話が主体で、通話を利用する場所としても移動中の自動車車内でというケースはかなり多いものでした。このため、携帯電話のオプション品として、携帯電話端末を自動車に装着して利用可能な「車載キット」が端末ごとに用意されていたものでした。
そんな時代背景のさなかにパイオニアが全面タッチパネル式端末を手掛けた理由の一つとして、筆者は車載利用を想定してこの形状に挑戦したのではないかと見ています。パイオニアといえば、「carrozzeria」ブランドで現在でもカーナビやカーオーディオなどの車載製品を製造発売するメーカーです。’90年代といえば自動車に搭載するアクセサリとしてカーオーディオは欠かせないものでしたが、その代表的メーカーがパイオニアだったのです。
そしてじつはこのDP-211は、自動車のカーオーディオ装着スペース(1DIN)にぴったり納められるような専用車載キットがオプションとして用意されていました。専用車載キットに装着すると自動車電話のように利用できる工夫がなされていたのです。
パイオニアはこのモデル以降も全面タッチパネル式の端末をモデルチェンジさせながら継続して商品化していきました。DP-211および後継のDP-211SWでは1DINサイズの専用車載キットが用意されていたものの、以後の端末は小型軽量化が図られていき、自動車のカーオーディオスペースに装着させるという発想から離れていきました。
スマートフォンへのシフトと全面タッチパネル
‘90年代末からのわが国における携帯電話の進化は著しく、1999年2月には端末上でインターネットの利用が可能となるiモード(NTTドコモ)が登場、さらに端末に搭載される液晶ディスプレイも1999年12月にカラー液晶モデルが登場し、以後カメラ機能やアプリ機能など著しい携帯電話の進化が続いていくことになります。
こうした中で、パソコンともシームレスにデータ等をやり取りできるようにと、スマートフォンが市場に登場してきました。どの機種をスマートフォンのルーツとするのか、そもそもスマートフォンの定義は何なのかなどさまざまな議論はありますが、全面タッチパネル式の端末の主要なものを追いかけていくと、2005年7月にはNTTドコモからM1000(モトローラ製)が登場、さらに2006年7月には全面タッチパネルに加えてスライドさせるとQWERTYキーボードが備えられているNTTドコモのhtc Z(HTC製)などが登場します。
これら端末は、パソコンで利用するサービスに準じたメール送受信機能や各種アプリケーションの利用が可能でしたが、小さなディスプレイ上で操作するにはスタイラスと呼ばれる付属のペンを使わない限り画面のタッチなど不可能で、正直なところとても使いにくいインターフェイスでした。
これらの端末以後も多数のスマートフォンが登場するのですが、残念ながらヒットには至らず、のちに登場するiPhoneやAndroidスマートフォンにその座を譲ることになりました。
全面タッチパネルを当たり前にさせたiPhone
2007年初旬、当時AppleのCEOだったスティーブ・ジョブス氏が「タッチ操作のできるワイドスクリーンのiPod、革命的な携帯電話、そして画期的なインターネット通信機器」としてiPhoneを発売することを公表しました。今でも歴史的なプレゼンテーションとして伝え続けられています。
そしてその5カ月後の2007年6月29日、初代iPhoneが米国で発売されました。ちなみに日本を含む世界では翌2008年7月11日に発売されるiPhone 3Gまでお預けとなりました。筆者はいち早く現地に渡航し、初代iPhoneを手に入れてその素晴らしい操作性に感嘆したものでした。
ジョブス氏がこだわったのは指だけで軽快に操作できること。そのために搭載するべき機能は手のひらだからこそ利用するものに厳選し、手のひらでは使わないであろう機能はそぎ落とし、そして指で滑らすようにスクロールさせたり、ピンチイン・ピンチアウトで拡大縮小できるなど人間の感性に近い操作性を実現させました。
iPhoneで採用されたタッチパネルは静電容量式タッチパネルです。指が触れることで静電容量が変化し、それを検知することで反応させ動作します。軽いタッチで軽快に操作できるのが特徴です。一方で、冒頭で紹介したDP-211をはじめiPhone以前のスマートフォンなどでは指やペンによる「圧力」を検知して動作する感圧式(抵抗膜方式)タッチパネルを採用しているものが主流でした。なぞって操作するなどの人間の感性にあった操作性は静電容量式タッチパネルのほうが向いており、こうした違いが一層iPhoneの軽快な操作性を際立たせる結果となったのです。
それでも無くならない物理ボタン
iPhone登場以降、瞬く間に全面ディスプレイ式のスマートフォンが世界の主流になり、そして国や地域、世代も超えて誰でもが簡単に操作して利用可能な情報機器として社会に定着しました。
タッチパネルであらゆる機能の操作は可能そうですが、それでもiPhoneなどのスマートフォンには物理的なボタンが複数見受けられます。まず電源ボタンです。こればかりはタッチパネル上のソフトウェアに任せることができないので、独立させざるを得ないのでしょう。次いで、ボリュームのボタンも人間の感性上独立していたほうが良さそうです。他にはロックのためのボタン、ホーム画面に戻るボタンが備えられています。
じつは、冒頭で紹介したDP-211にある物理ボタンもiPhoneとほぼ同じ構成であることに気が付きました。どこまでをタッチパネル上の操作に委ね、一方でどのボタンを残さなくてはならないのか、そうした取捨選択はすでにDP-211が正しい回答を見つけていたようです。そういう意味ではiPhoneよりも10年先に全面タッチパネル式の端末を商品化したパイオニアは先見性のある開発力を持っていたのだろうなと感じました。
<参考>
日本経済新聞電子版:iPhone誕生15年続く進化、変わらぬDNA
https://www.nikkei.com/telling/DGXZTS00001670T20C22A6000000/
神尾寿,ITmedia:タッチパネルの憂鬱と、その先にある可能性
https://www.itmedia.co.jp/mobile/articles/0709/10/news015.html
インターネットWatch:東京デジタルホンが携帯電話単体で電子メールのやりとりができるサービスを発表
https://internet.watch.impress.co.jp/www/article/970925/skyw.htm
<資料提供>
氏原 諭氏(ケータイ博物館)